罪と罰
槇原容疑者が薬物で逮捕されました。
「世界に一つだけの花」を作曲した有名な作家さんですよね。
歌の内容はよく知られているとおりで、多様性を認めて、オンリーワンを目指そうというようなお話です。
道徳教育には向いている歌詞と言えるでしょう。
先日テレビを観ていたら、教科書に載せるのはどうなのかという話題になっていました。
若い世代が「NO」と言う
道徳の教科書に「世界に一つだけの花」が載っていて、それをもとに授業を進めるのがどうかという話。
テレビでも言っていたけれども、若い世代のほうが、「NO」と言う印象。
歳を重ねた人の方が、「YES」でもいいのではないかという様子。
実際のところはどうなのか、分からないですが。テレビが見せるものは造られている可能性があるから。。
それでも、はっきりと「NO」と言う子どもはいた。
あと、どうしようか困惑している教師も。
教師の方も気にはなりました。難しい職業ですね。
「推定無罪」って知ってる?
単純な感想として、「まだ容疑が確定していない」ということがあります。
本当に薬物を所持していたのか、使用していたのか、裁判で確定させます。
その後、法律に則って刑が確定します。
報道によると、おおむね本人も認めているということなので、おそらく有罪になるのでしょうが。
刑が確定していない間は、容疑者です。
やったかもしれないですが、無罪の人なのです。
有罪にもなっていない人に関することで、そこまで慌てなくても。。
と思ってしまいます。
罪を憎んで人を憎まず
もうひとつ、大切な考え方があります。
「罪を憎んで人を憎まず」というものです。
この考え方が正しいかどうかという話は置いておきますが、日本の法律は、そもそもそういう思想のもとに作られているものです。
裁判に関わる人たちは、きっとそのような考え方に沿って、お話を進めていくことでしょう。
容疑者本人を憎む気持ちもあるでしょうが、憎むべきは罪だということです。そこに対して罰か科されます。
悪いところもあって人間
もちろん、薬物の使用は法律で制限されていますし、身体にもよくないので、決してやってはいけません。
ただ「世界に一つだけの花」という歌そのものは、すばらしいものだと評価されているはずです。
つくった人がどういう人であれ、評価されるべきは作品です。
このようなすばらしい作品をつくった人にも、評価すべきでない一面があります。
そのような教育があってもよいのではないでしょうか。
もともと多様性を教えるためのツカミの部分です。
かなり難しい話にはなるとは思いますが。。
もう刷ってしまったのです。まさか墨で塗りつぶすわけにもいかないでしょう。
いいことばかりを教えるだけでは、柔軟な発想が産まれないように思うのです。
もちろん、積極的に教育に使うべきかと言われれば、なかなか難しい話ですよね。。